西洋の日本観

その1 解説

 西洋の世界が東アジア、そして日本について詳細な知識を手にすることができるようになったのは、ヨーロッパ人が帆船に乗って世界の各地へと探検を始めた、大航海時代のことです。それ以前のヨーロッパでは例えばマルコ・ポー口のように、詳しい踏査の記録を残した例外的存在もあるものの、その情報は写本時代の中世において流布も限られています。近代初期の航海がさらに新たな試みへと冒険家たちを駆り立てていったのは、より迅速な、そしてより強力な情報の伝播方法、すなわち印刷技術によるところが少なくありません。コロンブスが熟読したマルコ・ポー口『東方見聞録』もまた、このような初期印刷本でした。

 マインツのヨハネス・グーテンベルクが発明した可動活字による印刷術は、西洋の文化にはかりしれない大きな影響を与えました。印刷術以前の書物とは、もとより手で書かれた写本であり、これに対して大量の本が短期間に作られ、広範に流布することを可能とした新しい技術は、まさに革命的と呼ばれるにふさわしいでしょう。

 グーテンベルクが最初に印刷を完成した本は聖書でした。この「四十二行聖書」から、十五世紀の終わりまでに刊行された印刷本を「揺藍期本」と呼びます。印刷の技術がさまざまな試行錯誤を重ねて高められていったこの「ゆりかご」時代の本は、五世紀以上後に、生産されている今日の一般の書物と比べると、外観のうえでもさまざまな違いがあります。植字工が活字を拾ったのち、手動印刷機で手漉きの紙に印刷され、製本工房で皮革や木を用いた堅牢な製本が施される、といった工程が、現代の印刷・製本と大いに異なることはいうまでもありません。しかし私達からすればほとんど原始的な技法で作られた書物に、現代では失われた独自の美しさを見出すこともできます。ケルムスコット・プレスで私家版を製作した、ウィリアム・モリスの例をここで引き合いに出すまでもないでしょう。

 ごく初期の印刷本は、写本の代替品として出発します。グーテンベルクをはじめとする一印刷技術者が、活字のデザインや頁のレイアウト(版面)など、さまざまな点で模倣したのは当時流布していた写本のそれでした。新たな技術が受け入れられるためには、このような模倣は避け得ないものであれ、印刷本があらたな情報媒体としての地位を確立するにつれ、独自の特徴が産み出されて行きます。タイトル頁ひとつをとっても、初期にはみられなかったものが徐々に一般化し、それが出版の場所や出版・印刷者の名、年号を含めたものになって行き、同時にさまざまなスタイルの変遷があることが理解できます。

 グーテンベルクの「四十二行聖書」は、百数十部しか印刷されていません。十五世紀末の印刷本もこの水準を大きく越え出る部数ではなかったものの、すでに書籍市場は飽和状態に達していました。過剰な情報の洪水という事態は、印刷技術のすみやかな伝播によってこのころすでに生じていたのです。

 ここではまずはじめに、十六世紀末以降日本の情報を伝える媒介となった印刷本が、十五世紀の誕生から十六世紀の半ばにかけて、どのような様式的変遷をへていったのかを垣間見ることにしましょう。

 1.アウグスティヌス『神の国』1475年
 2.トマス・アクィナス『ぺトルス・ロンバルドゥス[命題集]第三巻註解』1476年
 3.トリテミウス『教会書目』1494年
 4.『時祷書』1508年
 5.トーリー『万華園』1529年


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