28. アグスティン・デ・マドリード 『シドッティ司祭航海録』 1717年

シドッティ MADRID, Agustin de.    Relacion, del viage qve hizo el Abad Don Jvan Bavtista Sydot[i], desde Manila al imperio del Japon, embiado por nvestro santissiomo Padre Clemente XI. Sacada por Fray Agustin de Madrid.   S.I., s.n., n.d.    Folio.    Pagès 379; Cordier BJ 421; Laures 581; Palau 146619; Streit VI. 1419.

 鎖国下の日本に潜入した最後のキリシタン伴天連、ジョヴァンニ・バティスタ・シドッティに関する、同時代の唯一の文献。

 シドッティは1668年パレルモの貴族の子として生まれ、聖職への道を歩みましたが、日本布教への情熱絶ちがたく、教皇特使として中国へ赴くトゥルノンに同行、1703年ジェノヴァをたち、翌年九月にマニラに到着しています。この地の日本人に約四年間日本語を学んだのち1708年八月二十二日日本へ向けて出航、十月十日薩摩国屋久島に上陸、月代をそり羽織袴に大小をさげ、武士の姿を装ったものの、すでに不審な外国船の接近に気付いていた村民の報により長崎奉行所へ送られました。その後、城北小石川キリシタン屋敷に客死するまでは、新井白石の『西洋紀聞』によって知られます。幾度にもおよんだ江戸の尋問を通じて、学識豊かなシドッティが白石に披瀝した西洋の知識は、洋学興隆の端緒をひらくこととなり、日本文化史における意義は重大なものであったといえるでしょう。

 このアグスティン・デ・マドリードの記録は、シドッティの生い立ちからマニラ出航までを記したのち、シドッティの詳細な航海日誌を収録、そして日本潜入後の消息を伝えるものとして、フランチェスコ・ディ・サンタ・アニェーゼの書簡を加えています。この果敢な宣教師の記録は当時のヨーロッパで広く関心を集め、初版(1717年)ののち、イタリア語訳・ドイツ語訳も翌年に刊行されています。本書は京都大学でも所蔵が確認されています。


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西洋の日本観