西洋の日本観

36.トゥンべリ 『日本航海記』 仏訳・1796年

THUNBERG, Cael Peter. Voyages de C. P. Thunberg, au Japon. A Paris, chez Benolt Dandré, 1796. / 8vo, four volumes. Pagès 442; Cordier BJ447; Laures 666; Landwehr 343.



34.『日本の鋳貨』1779年 / 35.『ヨーロッパ・アフリカ・アジア航海記』1788-93年

『日本の鋳貨』1779年 『ヨーロッパ・アフリカ・アジア航海記』1788-93年


36.トゥンペリ『日本航海記』仏訳・1796年

『日本航海記』仏訳・1796年


 トゥンベリ(1743一1828)は、植物の分類体系を確立したカール・リンネの弟子。ウプサラ大学で医学と植物学を修めたのち、オランダ東インド会社付きの医師の地位を借りて1775年八月から十四ヶ月日本に滞在、多くの植物を採集するとともに、出島商館長の江戸参府にもしたがって、桂川甫周ら日本の蘭学者とも交わり、西洋医学の普及に影響を及ぼしています。トゥンベリが苦心のすえ収集した植物標本は、1784年の『日本植物誌』に用いられています。八百種以上の日本の植物について、リンネの分類法にもとづく学名をつけたこの著作は、のちにシーボルトが来日した時にも研究の基礎として用いられています.

 『日本の鋳貨』は、1778年オランダ、イギリスを経由して帰国したトゥンベリが世に問うた日本研究の最初の成果です。このスウェーデン王立学士院での講演は、翌年オランダ語訳が、また1784年にはドイツ語訳が上梓されました。

 トゥンベリの日本に関する総合的な記述は『航海記』のなかに含まれています。この著作には、日本に向かう途中の中継地となった希望峰やジャカルタについても詳細にのべられていますが、核心は第三・四巻の日本に関する部分にあり、ケンペル以後の新しい情報を渇望していたヨーロッパで、多くの翻訳が流布した理由もここにあります。

 『航海記』のフランス語訳は、四折版と八折版の二種が同年に刊行されています。実は二年前、1794年に翻訳が登場しているものの、これは原著第一巻から第三巻までの翻訳であり、第四巻の刊行・完結をまたずに上梓されています。同様のフライングはドイツ語訳でも見受けられます。この新たな仏訳本では、東洋学者ラングレーならびに博物学者ラマルクが監修にあたり、トゥンベリのもたらした新たな知見に詳細な注釈を加えています。なお、ドイツ語訳、フランス語訳のほかにも英語版が1793年から1795年にかけて二度にわたって上梓されたほか、1801年フィラデルフィアで日本に関する部分の要約版が刊行されたことも知られています。

邦訳:山田珠樹訳『ツンベルグ日本紀行』(東京・1928) (291/Th9)