大阪で道頓堀だけが劇場街だった訳ではないが、一流の歌舞伎は此処でしか見られなかった。この時代には西から浪速座、中座、角座、朝日座、弁天座と五座 が並んでいた。明治40年代、浪速座が新興の映画館へと転向し道頓堀も次第に様相を変えて行く。この写真は30年代のファサーリ商会販売のもの。着色 / 21×28cm
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