日本残像-横浜-

本牧の漁村

横浜 本牧の漁村

 明治の初年には本牧は半農半漁の村であったが風光明媚で外国人が好んで訪れるようになり、遊歩道も作られた。岬の袂にあった本牧十二天(明治初年に本牧 神社と改称)には茶屋も設けられていた。この美観は本牧埠頭や臨海工業地帯の形成とともに消滅することになる。着色 / 21×28cm

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