西洋の日本観

32. マフェイ 『全集』 1747年

MAFFEI, Giovanni Pietro. Opera omnia latine scripta, accedit Maffei vita Petro Antonio auctore. Bergomi, excudebat Petrus Lancellottus, 1747. / 4to., two volumes. Cordier BJ 67; Laures 618.



マフェイ 『全集』 1747年


 ジョヴァンニ・ピエトロ・マフェイ(1533ー1603)の二巻本著作集。『インド史』(1588年初刊)を第一巻に、第二巻には『東方布教史』(1571年初刊)その他を収録しています。  イエズス会の布教報告の蓄積とともに、これらに集められた情報を総合した著作の必要性が唱えられ、その任にあたったのが人文主義者マフェイでした。『東方布教史』はもともとコインブラのマヌエル・ダ・コスタがポルトガル語で記したもの、マフェイはその手稿をラテン訳するとともに、いわゆる「日本書簡」を編集した De Japonicis Rebus Epistolarum 等原著の約四倍に及ぶ大量の増補を行いました。

 ところがこれが公刊されると、ダ・コスタをはじめ、イエズス会内部から誤謬の指摘が相次ぎ、マフェイはあらためてイエズス会の布教史編纂に取り組むこととなりました。まず1578年イベリア半島へ赴くと、リスボンで、さらにコインブラやエヴォラのイエズス会文書を調査し、またローマのイエズス会本部からも大量の資料を入手したほか、たとえば晩年のメンデス・ピントにも面会して情報を得ています。また、特に日本については天正遣欧使節が携えてきた、ヴァリニャーノの『東インドにおけるイエズス会布教史』第一部など、新たな文献をそろえ、万全を期しました。このような周到な準備のうえで執筆された『インド史』は、刊行されるとただちに数版を重ね、十七世紀前半までしばしば上木されています。

 マフェイの生地ベルガモで出版されたこの版は、『著作集』と銘打った最初のものにあたります。イエズス会はその後、1759年のポルトガル追放にはじまり、フランス、スペインで放逐され、1773年にはクレメンス十四世によって解散を命じられます。しかしその後もイタリア各地で『インド史』の出版は続けられています。