西洋の日本観

37. ベニョフスキー 『太平洋航海記』 1791年

BENYOVSKY, Moric Aladar. Voyages et mémoires, contenant ses opérations militaires en Pologne, son exil au Kamchatka, son evasion et son voyage à travers l'Océan pacifique au Japon, à Formose, à Canton en Chine, et les détails de l'establissement qu'il fut chargé par le ministère François de former à Madagascar. Paris, chez F. Buisson, 1791. / 8vo. two volumes. Pagès 443; Cordier BJ453.



 『太平洋航海記』 1791年


  ハンガリ一の軍人ベニョフスキー(1744-1786)の回想。ポーランド軍に加わってロシアと交戦し・虜囚としてカムチャッカに送られたものの、数十の仲間と脱走し、ロシアの軍艦を奪ってマカオヘ向かう途中、阿波ならびに奄美諸島に漂着しています。彼はその際に、オランダ商館長にあてて□シアの南下を警告した書簡をおくったことで知られます。ハンベンゴロなる人物の報告として商館長がこれを日本につたえ、大きな衝撃を与えました。たとえば林子平の『海国兵談』はこれを契機として執筆されたもの。

 波乱万丈の冒険を記した『航海記』は、ベニョフスキーの没後に刊行されています。彼の友人で。科学者として有名だったジャン・バイアシンス・マゲランは、『航海記』の浄書原稿をウィリアム・ニコルソンに託し、ニコルソンはこれにもとづくフランス語版と英訳版とを1790年にロンドンで刊行。展示のパリ版はマゲラン自身の編集になり、その翌年に出版されたものです。これらのほかにもドイツで数種の翻訳が刊行されており、この回想録が当時のヨーロッパで多くの読者を魅了したことがわかります。なお、ベニョフスキーの原稿は現在、大英図書館所蔵(Add.MSS.5359.5362)。  

邦訳:水口志計夫・沼田次郎訳『ベニョフスキー航海記』(抄訳、東京・1970) (993.7/B35)