日本残像 -京都・奈良-

三十三間堂

三十三間堂

鳥羽上皇と後白河上皇がそれぞれ三十三間堂を造営したが、共に宝治2年(1248年)に焼失した。文永3年(1266年)に二寺を統合して一寺として再建。実際には南北六十六間あるが、二間ごとに柱を立て三十三間堂としている。慶長11年(1606年)浅田平兵衛がここで通し矢51筋を射たのが通し矢の、これぞ嚆矢。着色 / 21×28cm

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