日本残像 -京都・奈良-

嵐山

嵐山

淀川に注ぐ桂川は渡月橋を境にして保津川、大堰川と呼び名が変わる。保津川は徳川期までは木材の集散地として筏流しが往来したが、明治には衰退し筏師の多くは川下りの船頭に転職した。この写真は渡月橋から上流を見たもの。川下りした船を人力でもって川上に引き上げている。明治中期の撮影。着色 / 21×28cm

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