イギリス領コルフ島(イオニア海の島、現在はギリシャ領)出身の写真家。クリミア戦争、インドのセポイの反乱、中国のアロー号戦争など、報道写真家としてアジアを転々とする。文久3年(1863年)頃来日。下関戦争にも従軍し、開国の様子を記録する。ワーグマンと組み横浜にスタジオを開設、写真を販売。その傍ら、日本各地の風景、日本人の風景・習慣を精力的に撮影し、多くの日本人撮影技師を育成。明治10年(1877年)、原板を含めた写真館の一切をスティルフリードに譲渡、明治17年(1884年)離日。